医学書翻訳の桑田衡平 生誕180周年記念展

桑田衡平の調査を進め、小学校などで講話を行う入江さん

 日高市北平沢に生まれ明治初期に多くの米英医学書を翻訳し日本の医学発展に貢献した桑田衡平(1836~1905年)の生誕180年を記念し、「桑田衡平翁生誕180周年記念展」が23日から27日まで市総合福祉センター高麗の郷研修室で開かれる。

 主催は桑田衡平翁を顕彰する会(入江武男会長)。同展では衡平の翻訳した医学書などの資料や生涯をまとめたパネルを展示し、その功績を紹介する。会長の入江さんは「多くの人々にその存在を知ってもらい、未来へ語り継いで欲しい」と来場を呼びかけている。

 桑田衡平は、製茶機械を発明し日高市の偉人として知られる高林謙三(1832~1901年)の弟。

 高麗郡平沢村に生まれ、苦学を経て江戸の坪井信道に医学び、天然痘の撲滅に活躍した桑田立斎の長女と結婚し江戸で開業。加納藩の藩医として岐阜に身を置いたが、最新医学を学びたいと脱藩し江戸へ戻った。

 明治時代になると開成学校(後の東京大学)へ勤務し、米国の医学書の翻訳に本格的に取り組むように。明治3年(1870年)に薬の解説書となる「袖珍薬説」。

 明治6年(1873年)には病気の治療や予防法を記した「内科摘要」を手掛けた。医学書では癌や白血病、糖尿病、インフルエンザやデング熱なども翻訳しており、明治期には医学の教科書としても使用された。

 顕彰する会会長の入江さんは郷土史研究を趣味とし、地元出身の偉人・高林謙三の弟が医学者だったことを知り、6年前に調査を開始。

 桑田家の子孫などから聞き取りを行い、翻訳した医学書や晩年に書き残した自伝が収められている大阪大学附属図書館を訪ねるなど調査を進めた。

 平成23年には地元有志らと謙三・衡平兄弟の生誕地に石碑を建立。25年には衡平の生涯や翻訳した医学書、自伝の現代語訳などをまとめた「思出草」、昨年には児童向けの絵本「桑田衡平の物語」を出版し、それぞれ市へ寄贈した。

 入江さんのこれまでの調査により、昨年度から市教委が作成する小学校社会科副読本に兄・謙三と並び郷土の偉人として衡平の功績が掲載され、市内の小学校で学習に活用されている。

 生誕180年を記念して企画した展示では、衡平の生涯や功績をまとめたパネル、入江さんがこれまでに収集した衡平の著書や江戸末期から明治初期までの医学書を展示する。

 入江さんは「桑田衡平はいち早くアメリカの医学書を翻訳し、新しい西洋の薬や内科の病気について解説、治療や予防など日本の医学発展に大きく貢献した。私たちが使用している病気の名前や症状などの多くが、遡れば衡平の翻訳した本にたどり着く。展示を通じて、多くの人に関心を持って欲しい」と話している。