縄文人は名建築家? 住居床に岩石敷き詰める

写真右側が敷石住居の入り口。中央の石の空いた部分が炉跡

 飯能市岩沢地内の埋蔵文化財包蔵地「加能里(かのうり)遺跡」の第100次調査で、約4000年前の縄文中期頃の床面に岩石を敷き詰めた敷石住居跡(竪穴式住居)が出土した。

 市内では敷石住居の出土は珍しく、過去に複数例見つかっているだけ。

 加能里遺跡は、入間川が形成した河岸段丘左岸側にあり、東西約900メートル、南北約600メートルという規模の大きな遺跡。

 同遺跡からは、これまでに縄文時代草創期~晩期、古墳時代、奈良・平安時代、中近世の遺構、遺物の数々が発見されている。

 約1万5000年前の縄文時代草創期から人々の活動が見られ、縄文時代中期(約5000~4000年前)には多くの住居がつくられている。

 第100次調査は、岩沢北部土地区画整理事業の宅地、道路造成工事に伴うもので、5月28日から8月末までが調査期間。発掘現場は、岩沢白髪神社から北東側に約200メートル進んだ付近。

 地表を50~60センチメートル掘り下げたところから、竪穴式住居跡が2軒出土し、うち1軒が敷石住居跡。

 敷石住居跡の大きさは直径4メートルほど。入り口(南側)から内部に向かって、柄のついた手鏡のような形で直径20~30センチほどのチャートや砂岩の自然石が50個ほど平な状態で配置されている。中央には煮炊きや暖をとるのに用いたのか、炉が設けられている。

 現場のすぐ北側には、藤田堀が東西に流れており、住居床に敷き詰めた敷石は藤田堀から運び込んだものと推測されている。

 発掘現場の隣接地である平成30年6月8日~7月17日の間で行われた第85次調査地からは、女性を象った土偶(高さ7センチ、幅5センチ)の上半身部分が出土しており、今回の100次調査で、その下半身が見つかることを教委は期待している。

 飯能市では縄文時代後期以降、集落遺跡が減少していくが、加能里遺跡は縄文時代晩期まで集落が存続した数少ない遺跡の一つともいわれている。

 問い合わせは、市教委生涯学習課(973・3681)へ。