高麗神社で「高麗郡偉人伝」 安藤文澤・太郎父子に焦点 ワクチン接種普及に奮闘 

日高市新堀の高麗神社(高麗文康宮司)は、3月12日から21日まで、第6回高麗郡偉人伝「“幕末・明治期に活躍した業績を振り返る”蘭方医安藤文澤と外交官安藤太郎父子特別展」を同神社参集殿2階大広間で開催する。

高麗郡偉人伝は、平成28年に建郡1300年を迎えた高麗郡に関心を深めてもらおうと、高麗郡エリア(飯能・日高・鶴ヶ島・川越・狭山・入間・毛呂山)で活躍した偉人を紹介する企画として28年から開催。

6回目を迎える今回は、毛呂山町出身で、江戸後期に活躍した蘭方医の安藤文澤(ぶんたく)氏(1807~1872年)、その長男で明治期に外交官として活躍した安藤太郎氏(1846~1924年)父子にスポットを当てる。

これまで高麗郡偉人伝では、第1回はサイボク(日高市下大谷沢)創業者で養豚業の先駆者として知られ平成24年に96歳で他界した笹﨑龍雄氏、第2回は日高市北平沢に生まれ明治初期に多くの米英医学書を翻訳し日本の医学発展に貢献した桑田衡平氏(1836~1905年)。

第3回は女性初のエベレスト登頂者となり平成28年に77歳で他界した登山家の田部井淳子氏(川越市)、第4回は日高市北平沢出身で医業で蓄えた私財を投じて製茶機械を発明し日本の茶業界発展に大きく貢献した高林謙三氏(1832~1901年)。

第5回は明治から昭和初期にかけて日本経済を支えた主要産業の一つ絹糸生産に力を尽くした石川幾太郎氏(1855~1934年)を取り上げた。

6回目となる今回は、本来は昨年8月に計画されたが、緊急事態宣言に伴う新型コロナウイルス感染防止のため延期していた。

同神社によると、安藤文澤氏は、文化4年(1807)に阿諏訪村(現、毛呂山町阿諏訪地区)に生まれ、医師を志し蘭方医に入門、研鑽を積み江戸四谷に開業した。天保元年(1830)には23歳の若さで鳥羽藩に江戸藩邸詰侍医として召し抱えられた。

長年、死に至る病として恐れられていた天然痘を撲滅するため、種痘の普及に心血を注ぎ、当時、種痘を西洋の魔術などと言い信用しない者も多い中、普及を促すため、実弟の東作と協力して一族に種痘を施したという。明治5年(1872)66歳で没した。

安藤太郎氏は、弘化3年(1846)江戸四谷で文澤の長男として生まれ、少年期、漢学や蘭学を学び、青年期には、英語を修得し、幕府の海軍操練所の生徒となり坂本龍馬などとも親交を持った。

その後、騎兵士官になったが、22歳の時、榎本武揚と行動を共にし、函館・五稜郭などで官軍と戦った。戊辰戦争後一年間獄につながれたが、出獄後、語学の才能を買われ、岩倉具視使節団の通訳官として米国と欧州各国を巡った。

その後、外務省の外交官として香港副領事・上海総領事・ハワイ総領事などを歴任。役人を引退し52歳で本禁酒同盟の初代会長に就任、大酒豪から禁酒運動家へと変貌を遂げたユニークな人物としても知られている。

展示では、激動の幕末から明治期へと時代を駆け抜けた父子の時代背景や、蘭方医学と人との出会い、天然痘との戦い、地域医療への貢献など、文澤氏の歩んだ道を解説。また函館戦争から外交官へ、そして大酒豪から禁酒運動家への変貌など、太郎の人物像と功績を文献や人物交流などを紐解き紹介する。

展示期間中には、講演会などを企画。

講演会は、3月13日に日本大学商学部の非常勤講師・土井康弘氏を講師に招き「地方種痘術ノ開祖・安藤文澤と、その子・太郎の幕末~さまざまな人物交流から見えてきた実像~」、同20日に一般財団法人日本禁酒同盟理事、聖学院大学非常勤講師の山本祥弘氏を講師に招き「外交官・安藤太郎と日本禁酒運動」をテーマに行われる。

いずれも講演後に講師と同神社の高麗文康宮司によるトークセッションが行われ、開催時間は午後1時半から3時半まで。会場は参集殿2階。受講対象は中学生以上で定員は各30人。事前申し込みを2月21日から3月19日まで受け付け、定員に達し次第締め切り。

また、展示会場内では3月12日、14日、15日、16日、19日、21日には、いずれも午後2時頃より30分程度、切り絵紙芝居「毛呂山の医仁(種痘医)安藤文澤」(毛呂山町立図書館所蔵)の上演を行う。参加自由。

このほか、3月18日には、安藤太郎氏が妻の遺志により自宅後に建設した元麻布の日本キリスト教壇「安藤記念教会」を訪ねる「安藤記念教会現地見学会」を開催する。

時間は午後1時半から3時半までで、当日は日比谷線広尾駅そばの有栖川宮記念講演に集合し、教会や太郎氏の遺品を見学後、広尾駅で解散。定員20人、参加費500円(当日集金)、2月21日から申し込みを受け付ける。

講演会などへの申し込み、高麗郡偉人伝に関する問い合わせは、高麗神社989・1403へ。