飯能戦争でも使われたといわれる大八車も展示

飯能戦争でも使われたといわれる大八車も展示

 飯能市立博物館で、明治44年に撮影された大通りの賑やかな様子をジオラマで再現するなどした特別展「飯能縄市~近世の市と市街地の発展~」が始まった。飯能の中心市街地の歴史を紐解くことで、飯能の町の魅力を再発見しようとする企画。12月12日まで。

 飯能縄市は、現在の飯能商工会議所会館が立地する付近の大通りで、1700年頃に開かれていた定期的な市。市は、縄やむしろの取り引きから始まったことから縄市と呼ばれた。

 月6回縄市は開かれ、当日は近隣から商人や村人が大勢集まり、賑わいを見せていたという。

 江戸時代の定期市は、複数の町で順番に開かれるのが普通。飯能縄市は上市場と下市場に分かれ、二市ずつ交替で立てられた。縄市の場合、6日・10日・16日・20日・26日・29日(晦日)が市日。

 これにより、上市場で6日・10日と開かれたら、次は下市場で16日・20日、再び上市場の番となり、26日と29日に市が立った。

 市が立てられる町は、南北を境に西から上町・中町・下町に分かれていた。上市場は上町と中町の一部、下市場は中町の一部と下町。

 その境については中町に設けられていた高札場(現在の仲町交差点)となり、そこには境を示す「定杭(じょうぐい)」が設置されていたという。

 商人たちは、屋敷と道(往来)との間に設けられていた「庭」と呼ばれるスペースや道に品物を置く場所を借りて店を開いた。

 その際の場所代は、屋敷主や市を差配する人たちの収入となったので、多くの商人が市に集まると、市が立つ町自体も繁栄していった。

 飯能の市街地発展の原動力となった縄市だが、現存している資料が少なく、江戸時代の飯能縄市については、具体的な姿が良く分からないのが現状。

 そこで、特別展では他地域の室田(群馬県高崎市)や小川(埼玉県小川町)の市の様子を描いた絵図、市の境に立てられる定杭(群馬県中之条町)などを展示し、江戸時代の市の様子をイメージできるようにした。

 また、明治44年(1911年)12月に撮影された中央公民館東側の大通りの賑やかな様子をジオラマで再現し、110年前の飯能の町にタイムスリップしたかのように展示した。

 大きく引き伸ばした写真に、商人たちが縄市で店を張る場所でもある「大道(往来)」(道幅5・46メートル)を体感できるよう蘇らせた。

 さらに、同博物館収蔵の大八車もジオラマに併せて展示した。大八車は、市の道具として欠かせない荷物の運搬車両。

 展示中の大八車については、江戸時代末頃まで使用されていたもので、慶応4年(1868年)の飯能戦争で振武軍の兵糧運搬などに使われていたと伝承されている。

 飯能縄市の景観として、諏訪八幡神社祭礼幟「奉献八幡宮御祭旗」(2丁目町内会所蔵)、天保13年の飯能村絵図写真(博物館所蔵)、縄・小間物・炭・繭・生絹など飯能縄市の商品(同)、『新編武蔵風土記稿』挿絵「飯能縄市之図」写真(国立公文書館所蔵)、堺屋神棚(博物館所蔵)なども展示されている。

 同特別展は、▽Ⅰ近世の在方市▽Ⅱ飯能縄市と周辺の市▽Ⅲ飯能縄市の景観▽Ⅳ道路の整備と市街地の広がりの構成。

 期間中、関連講座として11月6日に杉森玲子氏(東京大学史料編纂所教授)講師による「近世の在方市と商人」(午後2時~4時)、13日に渡邉英明氏(関西大学非常勤講師)による「近世武蔵国の定期市と飯能六斎市」(同)。

27日には浅野正敏氏(一級建築士)を講師にした「現地見学会」が開かれる。見学会は午後1時半から3時半まで。大通りの入口電業、店蔵絹甚、中清米店、住田屋などの歴史的建造物を見て回る。

 定員は関連講座が各30人、現地見学会が10人。いずれも要申込、申込順で受付となる。

 博物館では、パネル展「渋沢栄一と飯能」も12月26日まで開催中。

 開館時間は午前9時~午後5時。休館日は月曜日、11月4日、24日。入館無料。

 問い合わせは、飯能市立博物館(972・1414)へ。