昭和の「献上そば」、令和に再現 竹むら(仲町)

「まちのおそば屋さん」として、来店客を温かく迎える店主の横澤さんと妻の洋子さん

 飯能市仲町の「献上飯能そば 竹むら」(横澤伸佳店主)は、昭和42年に先代が昭和天皇に献上したそばの味を再現した「令和の献上そば」を完成させ、先月末に2日間限定で試食会を開催した。

 「献上そば復活プロジェクト」と銘打ち、新型コロナウイルスの影響で沈んでしまっている地域に、「少しでも元気になれるような、明るい話題を」という三代目店主の横澤さん(56)。

 二代目が手掛けた「献上そば」のレシピや献立の内容などは残っていなかったが、「その場で打ち立てのそばを召し上がっていただいたこと」「秋を感じさせる紅葉を天ぷらにしたこと」との情報を基に、「もし、自分が親父の立場だったら」と思考を巡らせ、昭和の「献上そば」を令和の現在に再現した。

 同店は、昭和元年創業の老舗そば店。大正時代、東京のそば店で修業を積んだ初代・光治さんは、関東大震災を機に飯能に移り住み、昭和元年に店を構えた。

 「献上そば」は、二代目の武治さんが、昭和42年の埼玉国体で昭和天皇皇后両陛下が飯能を訪れた際、昼食にそばを献上したことに由来する。

 当時、武治さんは「東雲亭」に赴き、打ちたての盛りそばと天ぷらをお出ししたところ、そばが大変お好きという陛下はきれいに召し上がり、武治さんにねぎらいのお言葉を下さったという。この光栄を記念して、同店のそばを「献上飯能そば」と名付けた。当時お使いになったそばちょこは、現在も大切に保管し、店内に飾っている。

 創業以来、「まちのおそば屋さん」として地域の人々に親しまれている同店だが、現在は新型コロナウイルスの影響により、夜の時間の営業を自粛し予約者のみ受け付けたり、24席あった座席数を半数にするなど、これまで通りの営業ができなくなってしまった。

 そんな中、横澤さんが10月、天覧山麓にオープンした「OH!!!」を訪れた際に、ふと「ここにあった東雲亭で、この時期に親父がそばを打って当時の天皇皇后両陛下に召し上がっていただいたんだな。コロナで気持ちも沈んでしまっているが、何か元気になれるようなことができたら」と思い、「献上そば復活プロジェクト」に取りかかった。

 だが、「献上そば」のレシピや献立の内容は記録したものは残っておらず、わかっているのは、「その場で打ち立てのそばを召し上がっていただいたこと」「秋を感じさせる紅葉を天ぷらにしたこと」など、先代が折に触れ語った言葉のみ。

 そこで横澤さんは、秋の新そばの実の挽き立てを使って、すぐにそばを打つ「香り立つそばにしたい」「地元の旬な食材も取り入れたい」などと思案を重ね、魚屋や八百屋とも相談し、試作を繰り返してようやく納得のいく「令和の献上そば」が完成した。

 試食会が行われた先月24、25日の2日間は、まさに昭和天皇・皇后両陛下が飯能を訪問され、天覧山麓の「東雲亭」で先代のそばを味わった日。

 試食会には、2日間で約20人が参加。地元の人を中心に、取り組みを知った都内や入間からも参加者が訪れた。

 普段から、挽き立て・打ち立てを提供するよう心がけているが、今回はより香りを味わうことのできるよう工夫し、天ぷらは、紅葉をはじめマツタケ、クルマエビ、アナゴ、そして地元の旬のものとしてマコモタケを用意。

 「そば屋の天ぷらは、あくまでもそばがメインなので目立ってはいけないが、衣のカリッとした食感と、そばの美味しさも堪能できる絶妙な加減を心がけて作っている」とこだわりを見せた。

 参加者は、風味豊かな打ち立てのそばや、こだわりの天ぷらに舌鼓を打ち、横澤さんは「自分の納得のいくものを、皆さんに味わっていただくことが出来てよかった」と笑顔。

 「国体当時、自分は2歳くらいだったので記憶もないし、親父からも当時の話はあまり聞いていなかったので、“自分が親父の立場だったらどうしていたか”と考え、再現した。皆さんに、『美味しかった。また機会があったら参加したい』という声をいただき、満足してもらえたようでよかった。地域の元気の一助になったら嬉しい。また来年もこの時期に合わせて開催できたら」。

 また、「敷居が高そうなことをやったが、普段は“まちのおそば屋さん”です」。その言葉通り、普段は地元の人や近所に勤めている人などが訪れ、ボリューム満点の天丼と盛りそばのセットが特に人気という。「これからも“ほっとできる味”を守り続けていきたい」と話している。

 営業時間は、午前11時半から午後3時まで。毎週金曜日が定休日。電話番号は、フリーダイヤル0120・03・6366へ。