石井さんの手ほどきを受けながら競技用自転車を体験する児童

石井さんの手ほどきを受けながら競技用自転車を体験する児童

 東京オリンピック・パラリンピックを来年に控え、日高市立高麗川小学校(稲村浩之校長)でこのほど、2008年北京パラリンピック自転車競技の金メダリスト・石井雅史さん(46)を招いて特別授業が行われた。4年生148人が石井さんのメダル獲得までの道のりに耳を傾けたほか、体験を通じてレース用自転車の仕組みやヘルメットの正しい着用などを学んだ。

 石井さんは平成13年(2001年)、競輪選手だった28歳の時、自宅近辺の藤沢市でロードワーク中、乗用車と正面衝突し、びまん性軸索損傷などで意識不明の重体に陥った。事故から1か月後に意識は回復したが、脳外傷の後遺症により言語障害や記憶障害が生じたほか、左脚が不自由な状態となった。

 その後、歩行訓練から始めて過酷なリハビリを経て再び自転車に乗れるようにまでに回復、競輪への復帰を目指したが、高次脳機能障害との診断によりドクターストップがかかり、選手としての道を閉ざされた。

 しかし、関係者や知人の紹介で障害者スポーツとしての自転車競技(パラサイクリング)の世界を知り、パラリンピック出場を目指して新たな挑戦を開始。

 最初はまっすぐ走ることすらままならない状態だったが、次第に感覚を取り戻すと国際大会へ出場。平成18年(2006年)、スイスで行われたIPC世界選手権ではトラック1キロタイムトライアルで銀メダル、3キロ個人追い抜きで銅メダルを獲得した。

 迎えた北京パラリンピックでは、3キロ個人追い抜き決勝で僅差の2位となり銀メダルを獲得、続く1キロトラックレースでは1分8秒771の世界新記録をマークして他選手を圧倒、日本人選手として同大会最初の金メダリストに輝いた。また、ロード・タイムトライアルでは銅メダルを獲得し、金・銀・銅すべての種類のメダルを手にした。

 こうした実績が認められ、平成21年(2009年)からは藤沢市スポーツ振興財団の非常勤職員として自転車競技活動を続け、北京の後、ロンドン、リオとパラリンピック3大会に出場。一度は引退したが、自転車競技への思いは強く、現在は来年の東京パラリンピックに挑戦しようと努力を続けている。

 今回の特別授業は、児童たちに東京オリンピック・パラリンピックへの関心を高めてもらうとともに、将来に向け様々な分野に興味を持って欲しいと企画。日高武蔵ライオンズクラブ(橋本利弘会長)、同校卒業生でNHK報道局のディレクターをしていた大澤芳文さん(76)などが協力した。

 体育館で行われた授業では、はじめに教諭が聞き手となり、子どもの頃から自転車に乗るのが好きだった石井さんが、自転車競技経験のある叔父の薦めで高校から本格的に自転車競技を開始したことや、事故に遭ってからパラリンピック出場を目指しメダルを獲得するまでの道のりを紹介。

 その後、石井さんが持参したトラック(室内)用とロード(屋外)用の競技用自転車について説明し、器具を使った練習方法を紹介、児童たちの試乗体験も行われた。また、事故当時に着用していたヘルメットも持参し、「ヘルメットが無ければ即死だった。自転車に乗る時には必ずヘルメットをして下さい」として、児童たちに正しい着用方法を指導した。

 最後には金・銀・銅3種類のメダルのお披露目が行われ、児童たちはメダルを手に取って眺め、「すごい」「重みがある」などと感激の表情を浮かべた。

 石井さんは「事故に遭い、意識が戻った時には全く喋れない状態だった。記憶をはじめ色々な脳の機能に障害が残り、自分の中の記憶は13歳で止まってしまっていた。リハビリは歩くこと、足し算引き算をもう一度勉強することから始まった」「競輪選手を引退した時に関係者に“もっと走りたかった”との思いを伝えたところ、パラリンピックの世界を紹介してくれた。これが人生の転機になった」と振り返り、周囲の人々の支えに感謝。

 児童たちを前に「私は本当に多くの人に支えてもらった。やりたいと思ったことを口にすれば、きっと応援してくれる人が現れる。皆さんもぜひ色々なことにチャレンジして、好きなことを見つけて欲しい。自分が見つけたものならどんな困難でも乗り越えられると思う」などとメッセージを送った。

 石井さんの話に熱心に耳を傾けた野﨑恵吾くん、中島乙葉さんは「大変な事故に遭ったのに、パラリンピックに挑戦して金メダルをとるなんてすごいと思った」「夢をあきらめない気持ちが大切だと感じた」などと感想を話した。