床に広げられた村絵図を市立博物館内で閲覧する保護審メンバーら

床に広げられた村絵図を市立博物館内で閲覧する保護審メンバーら

 飯能市が所有している江戸後期の飯能村を描いた「飯能村絵図」を、市有形文化財(歴史資料)として指定する議案が、29日に開かれる市教育委員会の定例会議に上程される。前段階として、文化財指定が妥当かどうか、教委からの諮問を受けていた市文化財保護審議委員会=保護審=(大野亮弘委員長)は、1日の会合で指定に相応しいとする答申をまとめている。

 この村地図は縦3メートル12センチ、横3メートル73センチの大判。江戸時代の飯能村(概ね東側県立飯能高校、西側多峯主山、南側入間川、北側日高市境付近)の田畑、屋敷地、道路、水路などが600分の1の縮尺で手書きされている。昭和47年、飯能市役所庁舎が中央公民館の建物から現在地に移転する際の作業で偶然発見されたという。

 保存状態は極めて良好で、紙に破れや虫食いなどはほとんど見られない。40センチ四方に折り畳まれ、市立博物館で管理されている。所有者は市教育委員会。

 村絵図に描かれている土地利用の状況は精細。川や沢は青、道は赤、畑は黄、水田は灰、山は緑、屋敷地は白色で塗り分けられ、なぜこの村絵図が製作されたのか、はっきりとしたことは分からないものの通りや能仁寺、諏訪明神社(現諏訪八幡神社)、愛宕山(現天覧山)、多峯主山の様子が忠実、精緻に描かれている。

 愛宕山と多峯主山の間の谷津を利用した水田、緑色に着色された山の部分には、牛馬の飼料にする秣(まぐさ)を刈り取る秣野や、杭や木材などを産出するための杭木(くいぎ)山などの文字、部分的に松と思われる樹木を描き分けているなど、村絵図からは自然環境を推測することもできる。

 また、村絵図南東側の右上にあたる現在の大通りに面して屋敷が広がっているが、同場所は「縄市」と呼ばれた市が開かれていた場所であり、かつ上市場と下市場の堺をなしていた高札場も記されている。

 答申を行った保護審の会合は市立博物館で開かれ、指定文化財候補調査書に記載する村絵図の歴史・沿革、構造・現状、保存状態・体制、指定理由の文言の最終修正を行ったほか、博物館に保存されていた村絵図を床に広げ、現在の家並みや道路の配置などをイメージしながら、それぞれの位置や形状などを比較した。

 村絵図が展開されたのは、平成4年の郷土館(当時)開館に併せて展示された時から、26年ぶりという。

 絵図の一部分に記された文言から、絵図は文政8年(1825)に製作にかかり、3年後に元となる草稿が作成され、その後、修正が加えられて天保13年(1842)に完成した。

 製作の中心にいたのは、飯能村名主の大河原又衛門と高麗郡楡木村名主の清兵衛。又衛門については、「新編武蔵風土記稿」(文化・文政期に編纂された武蔵国の地誌)に「旧家又右衛門」と記され、既に江戸時代後期の段階で由緒ある古い家として知られていた。

 「現在の市(地方自治体名)の名称として付けられている『飯能』村の近世後期の様子を知ることができる唯一の絵図」と評価されている飯能村絵図の文化財指定に関する議案が提案される市教育委員会会議定例会は29日、市役所別館会議室で午後3時半から開かれる。会議は人事に関する案件などを除いて傍聴できる。