祝う会出席者に感謝を述べる木川さん

祝う会出席者に感謝を述べる木川さん

 「私の座右の銘は孔子の論語にある“恕(じょ)”。その身になって他人の気持ちを思いやり、受け入れ、認め、許す。人生で一番大切なことではないか」。そう話すのは、飯能靖和病院(飯能市下加治)をはじめ県西部地域で数多くの医療・介護施設を運営する靖和会グループの会長・木川一男さん(84)。昭和35年に東飯能駅前に木川接骨院を開業して以降、地域の医療・介護分野で数多くの施設を運営しその発展に大きく貢献。一方、若い頃から柔道に打ち込み、今年1月に柔道の総本山として知られる講道館から六段の認定を受けた。

 このほど、飯能靖和病院35周年記念誌の発刊と木川さんの講道館柔道六段昇段を祝う会が東京都文京区の椿山荘で開催され、地元飯能市をはじめ、医療や福祉、出身校や柔道関係者など幅広い分野でゆかりのある300人を超える人々が祝福に駆けつけた。

 その壇上で木川さんは自身やグループの歩みを改めて振り返り、これまでの多くの人々の支えに感謝。飯能市ふるさと納税に20万円、中央大学柔道部に20万円、そして、4年後に母校の飯能高校が100周年を迎えることから、自身が会長を務める飯能高校創立100周年記念事業実行委員会へ300万円を寄付、大久保勝飯能市長らに目録を手渡した。

 木川さんは少年時代、小説「姿三四郎」に憧れ、中学で柔道を始めた。飯能高校に進学してから一層打ち込み、在学中に二段昇段を果たした。大学進学後は中央大学柔道部で活躍し、三段に昇段した。

 大学卒業後は教員になろうと考えていたが、柔道部の先輩に「柔道整復師の資格を取得し、接骨院開業の道に進んではどうか」とのアドバイスを受け、柔道整復師を目指し、昼は整形外科病院に勤務し夜は専門学校に通い、資格を取得。

 そして昭和35年12月、27歳の時に東飯能駅前に木川接骨院を開業。当時は市内に接骨院が少なく、柔道有段者を含む約20人の従業員で活気に満ちた同接骨院には1日に400人もの患者が訪れたこともあるという。片道30キロある山間地域へ往診に行くなど患者に寄り添った診療を続ける中、特に高齢者医療の充実の必要性を感じ、昭和55年12月、47歳の時に下加治に療養型病院として飯能靖和病院を開設した。

 三男一女に恵まれ、いずれも医師となり、木川さんは子どもたちとともに、飯能靖和病院の増床、飯能老年病センター(下加治)、飯能整形外科病院(東町)の開設、特別養護老人ホームの開設、旧市立病院の再生などに精力的に取り組み、現在、靖和会グループが運営する施設は15か所、従業員数は1900人を数える。

 長男の浩志さんは医療法人靖和会理事長(飯能靖和病院院長)、次男の泰宏さんは医療法人泰一会理事長(飯能整形外科病院院長)、三男の好章さんは医療法人好友会理事長(飯能老年病センター院長)としてグループを支え、長女の典子さんは武蔵野市の医療法人久優会フェリーチェレディースクリニック吉祥寺の院長を務める。

 話は柔道に戻るが、木川さんは接骨院開業と同じ昭和35年12月に講道館に入門。平成11年1月に五段に昇段してから20年が経った今年、1月に講道館で行われた鏡開き式で女子柔道金メダリストの谷亮子さんらと並んで六段昇段の認定を受けた。

 今回開かれた記念誌発刊と六段昇段を祝う会では、寄付金贈呈や花束贈呈に続き、大塚拓衆議院議員、世界脳神経外科連盟の神野哲夫名誉会長、丸木記念福祉メディカルセンター病院の棚橋紀夫院長、大久保飯能市長、川合善明川越市長、中央大学OBで東京都柔道連盟会長の関根忍さんなど来賓から木川さんへ祝福の言葉が贈られ、式後には祝宴が盛大に催された。

 関係者に感謝し、地域や母校へ多額の寄付を行った木川さんは「以前、友人から贈られた“大業を成し遂げようと思ったら年老いても青年でなければならない”とのゲーテの名言に感銘を受けた。これからも“恕”の精神を忘れず、グループとしては“心のかよう医療・看護・介護”のもと、より一層地域の皆様に信頼される存在を目指したい」と話している。