歴史紐解く明治の村絵図 北平沢の旧家から見つかる

高麗公民館大集会室に広げられた絵図を確認する関係者

 日高市北平沢の郷土史研究家・入江武男さん(71)が、同地区の旧家・小久保家から預かった明治時代の北平沢・南平沢・田波目地域が描かれた絵図を日高市教育委員会文化財担当に持参し、担当職員がその内容を確認した。「武蔵高麗郡平澤村三組田波目村図」と記された絵図は、今から142年前の明治9年(1876年)に作成された地籍図と見られ、タテ約210センチ、ヨコ約450センチの大規模なもの。田畑や宅地など土地の種類別に色分けされており、文化財担当職員は「非常に大きく、分かりやすく描かれており、保存状態は極めて良好。地域の歴史を紐解く貴重な資料」と話している。

 当時の平沢村(中組・上組・下組)と田波目村が描かれた同絵図は、田畑、宅地、社寺、林、川、道路のほか、牛馬の飼料となる草を採取する草地「秣場(まぐさば)」など土地の種類によって色分けされ、一筆ごとに所有者名が記されており、絵図のタイトルの隣には、縮尺を示す「曲尺以五厘為壹間」として、曲尺(かねじゃく)の五厘(約1・5ミリ)を一間(約1・8メートル)とする旨が記されている。

 また、下段には、絵図の作成にあたり「土地の所有者の立ち会いのもと、田畑の形状や面積を取り調べ、間違いなく作った」とする旨の証文と関係者の名前、地図を作ったとされる「明治九年十月」の文字が確認できる。

 このほか、同絵図と比べると簡略化された「明治六年」と記された平沢村の絵図もあり、これらは徴税を目的に、測量を行って田畑などの面積をまとめたものと見られ、当時副戸長を務めた小久保半五郎の家で長年保管されていた。小久保家の子孫が家を整理した際に見つかり、郷土史研究家として小久保家と親交のある入江さんが預かった。

 絵図の確認は高麗公民館大集会室で行われ、公民館のテーブルを何台も使って広げられた絵図を前に市教委文化財担当職員は、「絵図は当時の地域の状況が目で見て分かる貴重な資料。これだけ大きなものは珍しい。これは保管用と見られ、広げる機会はほとんどなかったと思われる。虫食いや剥がれもなく、保存状態がとても良い」と感心。絵図は撮影してデータ化し、今後、詳細について調査を進めるとしている。

 絵図を預かった入江さんは、「このような資料が現在まで残っていたことは素晴らしい。とても丁寧に描かれており、当時の測量技術が優れていたことも分かる。郷土の歴史を市民に知ってもらうためにも、多くの人に見て頂ける日が来るのを願っている」と話している。

 絵図の見つかった小久保家からはこのほか、小久保一族で明治期に高林式製茶機械を発明するなど日本の茶業界発展に大きく貢献した高林謙三(1832~1901年)の晩年の肖像写真なども見つかっている(既報)。