旧名栗郵便局正面玄関上に残る極彩色の鏝絵

旧名栗郵便局正面玄関上に残る極彩色の鏝絵

 飯能市の文化財保護審議委員会は先ごろ、旧名栗郵便局庁舎(同市下名栗)など3つの建築物を新たに市指定文化財候補に追加した。同庁舎は、左右対称の洋風建築で、外壁は洗い出しと言われる左官の巧みな鏝の技術を駆使した仕上げで、正面玄関上の壁面に色鮮やかな装飾が施された郵便マークや、鳳凰の壁面彫刻が特徴。鏝絵と呼ばれる技法。

 巧みな鏝絵を施した左官職人の遺族が、同局舎が文化財候補に選ばれた事を知り、当時の思い出等を語った。

 同局舎は、昭和4年に建設され55年まで使用され電話交換も行われていた。隣接地に新郵便局が建設された後は、倉庫として使用されていたが、内部は、当時のカウンターもそのまま残され、多少手を加えれば、昔日のありようが蘇るほど、よく保存されている。

 洗い出しは、一度塗った後に、まだ乾く前の微妙なタイミングを見計らい水で洗い出す左官の仕上げ工法で、表面がざらざらになり、耐用年数が長くなる。

 市の正式な学術調査はこれからだが、同局舎の所有者と、巧な技術で外壁と鏝絵を制作した遺族の話では、飯能の名工故島田二三(にぞう)の手になるものらしいことがよりはっきりした。

 二三は、明治30年、入間郡南高麗村下畑(現飯能市下畑)の左官業の小島家に生まれ、母方の親戚で、同じく代々左官業を営んでいた青梅市小曽木の島田家に養子縁組。幼少期より、左官の修行を重ねた。

二三の次男で飯能市前ケ貫在住の島田尚毅さん(77)の話では、鏝絵等の漆喰細工で名を知られた、伊豆の名工入江長八の孫弟子ではないかという話を聞いたという。親戚や、兄弟の中でも、優れた腕を持っていた。

 二三は、現在の飯能市柳町に居住し、ここを拠点に、近隣の学校などの公共建築物や、お寺等の壁や欄干に、鏝を駆使し漆喰彫刻を数多く手がけた。

 寡黙で仕事一筋な人で、感謝状はたくさんもらったが、お金は残さなかったと、尚毅さんは思い出を語る。

 そのため、多くの人から信頼され、その紹介で様々な仕事を手掛け、今も建物が現存していれば、市内各所に、作品を見る事が出来るはずという。

 天神、羽衣、虎、龍等の壁画や鏝絵、洗い出し作りの人の背ほどの五重塔、狐の置物など多様な物を作ったと語る。

 特に、青梅市富岡の常福寺本堂の壁画は、龍と虎が描かれ、代表作ではなかったかという。しかし、今ではないのではないか、と残念がる。

 また、下名栗諏訪神社の蔵の壁画に、小島豊二郎作と書かれた壁画があるが、豊二郎は二三の実父で、二人の合作だが、実際は、二三が中心に作ったのでは、と推測する。風化し、色褪せはしているが、今でも赤の彩色は良く残っている。

 二三の次女で、下名栗在住の佐野和子さん(80)は「当時、飯能第一中学校の国旗掲揚塔も作ったのを覚えている」という。

 「器用な人で、飯能のお祭りのときは、笛を吹いたり三味線も弾くなど芸人だった」と、和子さんは、思い出を語る。

 昭和49年5月、77歳で亡くなった。

 和子さんは、同局舎が指定文化財候補になったのを機会に、多くの人に記憶にとどめてほしい、と語っている。