丘陵に響く鉦と太鼓と念仏 「薬(やく)さま」例大祭で奉納

念仏が奉納される薬師堂

 飯能市落合の曹洞宗無量山西光寺(加藤秀明住職)仏堂「薬師堂(瑠璃殿)」で1012日に催される秋季例大祭で、埼玉県選択無形民俗文化財の「西光寺双盤念仏」が、檀家らが集い技術を継承する保存会(小島正義会長)によって奉納される。双盤念仏は、枠台に吊るした双盤と呼ばれる直径40センチほどの鉦と太鼓を打ち鳴らしながら、独特の節回しで念仏を唱える芸能。同保存会は、埼玉県の無形文化財を代表し、同22日に栃木県の宇都宮市文化会館で開かれる第59回「関東ブロック民俗芸能大会」にも出演する。

 西光寺双盤念仏の構成は太鼓1人に鉦4人で、流派は浅草寺(東京都台東区)から伝承された浅草流。同寺の七世住職が江戸時代末期に、地区にもたらしたと伝えられている。

 念仏奉納の場となる西光寺の薬師堂は、春にはカタクリで紫色に染まる加治丘陵北面に鎮座。地元では、眼病にご利益がある「薬(やく)さま」と呼ばれ、代々親しまれている。

 小田原の後北条氏に縁があり、本尊の薬師如来は天正18年(1590)の豊臣秀吉による小田原攻めの際、滝山城より落ちのびた中山氏により祀られたとの説が地元では受け継がれている。

 同念仏は、薬師如来の縁日である4月12日と1012日の年2回奉納されており、今秋の念仏奉納もこれまでと同様に初回開始が午後1時から。祈祷法要は、1時半から営まれ、その後、念仏演奏については随時、時間を見て行われる。当日が雨天の場合は、西光寺本堂に場所を移しての縁日となる。

 落合の双盤念仏については、太平洋戦争の金属供出により中止、演奏できない状態が長く続いていた。が、昭和51年頃に西光寺の当時の住職らが、見かねて復興へ向けての活動を開始。経験者の指導を仰ぎながら、檀家たちが西光寺の本堂で鍋の蓋などを叩いて練習を重ね、52年に鉦4枚の鋳造を遂げ、翌年春の薬師堂例大祭から、住民念願の奉納が再開された。

 以後、同地区では先人の労苦を水泡に帰してはと、60年に双盤念仏保存会を組織し、毎月西光寺本堂で稽古を積み重ね、技術の習熟とともに奏者育成に力を注ぐ。こうした努力が報われ、62年度に飯能市無形民俗文化財、平成21年度には埼玉県選択無形民俗文化財に指定されている。

 同保存会は、薬師尊例大祭後の22日、栃木県宇都宮市の文化会館大ホールで開かれる第59回「関東ブロック民俗芸能大会」に埼玉の無形民俗文化財を代表して出演する。

 同大会は、昭和34年から全国を5つのブロックに分けて開催されている民俗芸能大会の一つ。関東ブロックについては、関東1都6県に山梨、長野、新潟、静岡県を加えた11都県の持ち回りにより、毎年企画されている。

 大会では、各地に伝承されている民俗芸能の中で、特に地域的特色が顕著な7団体が伝承技術を披露する。西光寺双盤念仏保存会のほか、栃木県大田原市の正浄寺の「雅楽保存会」、東京都檜原村の奉納舞「笹野式三番保存会」、神奈川県平塚市の「田村ばやし保存会」などが出演する。