旧南川小校舎。明治37年建築で、当時の状態がよく保全されている

旧南川小校舎。明治37年建築で、当時の状態がよく保全されている

 飯能市の文化財保護審議委員会がこのほど、同市双柳の富士見地区行政センターで開かれ、飯能織物協同組合(織協)事務所棟=同市仲町=などが、新たに市指定文化財候補に追加された。

 同棟は、その翌日開催された国の文化審議会で有形文化財への登録が決定。同棟の歴史的価値に国もお墨付きを与えた形で、同棟などを指定文化財候補に認定した市の審議会の判断の確かさを追認するもの。

 市の審議会は、今後さらに詳細に指定文化財候補の調査・検討を進め、指定文化財にふさわしいのかなどを判断していく。また、芦苅場地域の遺跡が、住居跡は100以上、広さは2万平方メートルを超える規模である事が分かり、平成30年1月から2次調査に着手することなども報告された。

 今回、市指定文化財候補として認定された建築物は、ほかに旧北川小学校校舎、旧南川小学校校舎、旧名栗郵便局庁舎の3つ。

 旧北川小学校(同市北川)、旧南川小学校(同市南川)は、平成5年、吾野小学校に統合され廃校になった。

 北川小は、明治7年に開校。大正10年に現校地へ旧校舎を移転している。

 廃校時には、左側に明治37年に建設され移築された明治時代の校舎と、右側に大正10年建設の校舎が残されていたが、大正校舎は、その後解体され現存していない。

 明治校舎は、平成24年から25年にかけ、内部は西川材をふんだんに使い修繕工事が行われ、地域コミュニティの場として調理場なども設けられていたため、解体されず保存されていた。木造平屋建てで、屋根は寄棟セメント瓦ぶき。外壁が下見板張り。明治時代の小学校の建築様式を今に留めている。

 南川小学校も、北川小と同様に明治7年創立、平成5年閉校。明治37年建築の校舎と、昭和12年に建築された校舎がともに現存し、保存・管理が行き届き、映画などのロケに活用されることもある。

 明治校舎は、木造平屋建て寄棟桟瓦ぶき、外壁下見板張り、玄関は入母屋土庇で寺院のような造り、正面軒下には、上の荷重を支える板蟇股(かえるまた)が設置されている。昭和校舎は、木造2階建て寄棟トタン板一文字瓦、外壁は下見板張り、玄関は、西洋風な漆喰(しっくい)造りで、昭和10年代の学校建築の様式。

 旧名栗郵便局庁舎(同市下名栗)は、昭和4年に建設され、55年まで使用され電話交換も行われていた。

 左右対称の洋風建築で、外壁は洗いと流しと言われる仕上げ。正面玄関上の壁面に色鮮やかな装飾が施された郵便マークや、孔雀のような壁面彫刻が特徴で、飯能市の左官の名工が、鏝の技術を駆使している。隣接地に新郵便局が建設された後は、倉庫として使用されていたが、内部は、当時のカウンターもそのまま残されている。

同審議会は、今年度、新たに追加された4つの建造物を中心に細かく具体的に調査して検討を進める。

 そのほか、歴史資料部門では、3メートル四方の大きさで旧飯能村を詳細に描いた、天保13年(1843年)の飯能村絵図、戊辰戦争の一つ、飯能戦争(慶応4年(1868年)当時の様子が克明に記されていた、大砲玉収納用の大箱を候補に追加。

 天然記念物部門は、南北朝時代の貞和年間(14世紀中期)に植えられた高さ12メートルのイトヒバの一木、小さな白い花が春に咲くユリ科のヒロハノアマナの群落が、候補として紹介され、埋蔵部門では、飯能焼原窯跡(同市八幡町)の出土品が、指定文化財候補への追加が提案され、同審議会はいずれも承認した。

 そのほか、江戸時代から伝承されていた人形芝居「片瀬人形(同市虎秀)」についての調査報告が、審議会委員で国学院大学講師の小野寺節子氏から行われた。

 また、芦苅場地域の遺跡は、南小畔川の右岸に沿った山林に広がり、縄文中期の出土物などが確認されている。広大な規模に及ぶため、県埋蔵文化財調査事業団の協力も得て、30年1月から10~11月頃までかけて、2次調査を行う。