住民たちの手で再建された金毘羅大権現碑。隣には高萩宿の歴史を示す解説板も

住民たちの手で再建された金毘羅大権現碑。隣には高萩宿の歴史を示す解説板も

 国道407号の旧道沿い、かつて宿場町だった日高市高萩地内に、清水次郎長も一目置いた侠客の清水喜右衛門こと「高萩の万次郎」(1805~1885年)が願主となり慶応2年(1866年)に建立された「金毘羅大権現碑」がある。大正12年(1923年)の関東大震災に始まり、平成16年の新潟中越地震、そして同23年の東日本大震災の影響を受け壊れたままになっていたことから、住民有志が立ち上げた「金毘羅大権碑等再建並びに整備委員会」(関孝夫委員長)が地域に協力を呼びかけて碑を再建した。碑をはじめ外柵の新調、往時の高萩宿の様子を示す歴史解説板の設置なども行われ、28日には委員会のメンバーが集まり魂入式が挙行される。

 同委員会によると、高萩を南北に貫く道は江戸時代、「日光千人同心街道」と呼ばれ、八王子千人同心が日光の火の番を交代で務めるため八王子から日光へ向かうルートとして利用された。高萩宿は八王子から6番目の宿場として、人馬を交代して荷物を運ぶための継立(つぎたて)の役割を担っていた。

 参勤交代で大名が利用する街道ではなかったため、本陣・脇本陣はなく「旅籠(はたご)」が数件、また、宿場の最高責任者の「問屋」が2軒あり交代で役職を務め、それを補佐する「年寄」がおり、人馬の継立業務を担っていた。

 清水喜右衛門こと高萩の万次郎は、「鶴屋」を屋号とする十手持ちで、高萩宿で宿役人の年寄を務めていた。近隣の村民を集めて地元負担で荷物を運ばせる「助郷(すけごう)」の命令書が中山道熊谷宿から届いた際には、問屋とともに熊谷宿へ赴き助郷免除を嘆願、慶応2年(1886年)に起きた武州一揆の際は宿はずれで一揆衆に酒や食事を振る舞い、高萩宿での打ちこわしを回避させた。

 喜右衛門は侠客としても有名で近隣の侠客から一目置かれ、清水次郎長とも親交があり、若かりし次郎長を匿ったことが縁となり、その縁は喜右衛門の晩年まで続いた。

 金毘羅大権現碑は、その喜右衛門が願主となって建立。以来毎年祈願が続けられ、「祈願無事永続」として明治15年には鶴屋で「金比羅講」が催された。この時、日高、飯能をはじめ県内や東京、山梨、静岡から延べ78人の有力者が世話人として名を連ね、その中には山本長五郎(清水次郎長)、宮﨑文吉(津向文吉)、宮下仙右衛門(枡川仙右衛門)など講談や小説に登場する面々の名もあった。

 碑の文字は「異体字」で記されている。傍らに建つ石尊大権現御神燈に刻まれた「高萩驛下宿」の文字は、この地に高萩宿が存在したことを示す唯一の証。馬で人や物を運ぶ中継地の「駅」としての役割を持っていたことを示している。

 碑の建立から約半世紀後、関東大震災によって碑は中程から欠け落ちたが、修復が試みられ、折れた場所に金属を入れて補強し、中央に亀裂の跡を残しながらも往時の姿を保っていた。

 しかし、時代の変遷とともに石の劣化が進み、平成16年10月に発生した新潟中越地震によって修復した箇所が再び欠けてしまう事態に。翌17年には周辺住民の間で再建の話が浮上したが、具体的に動き出す前にメンバーのうち数人が他界し、再建話は一旦立ち消えとなってしまった。

 折れたままになっていた碑は、平成23年3月の東日本大震災で、さらに残っていた下半分もほぼ根元から折れてしまった。建立地が6軒の共有地であり、しかもそのうち所有者がはっきりしているのが1軒だけということもあり、思うように再建の話は進まなかった。

 「後世に高萩宿の歴史を伝えるためにも、碑を建て直したい」。再建の話が再び浮上したのは昨年8月。当初は3人の有志から始まり、地権者の確認と再建の了承を得ることから活動を始めた。法務局で登記簿の確認を行ったところ、判明している1軒を除き他の家の登記者は大正時代のままだったため、墓石などで現在の家を確認し、全ての地権者の了承を得た。

 さらに多くの人の意見や知恵を集めるため、金毘羅大権碑等再建並びに整備委員会を立ち上げた。高萩宿は下宿・中宿・上宿で構成され、碑が建立されている場所は下宿地内だが、建立した清水喜右衛門が旧高萩宿ゆかりの人物であることから、旧高萩宿に該当する全ての地域からメンバーを募り、賛同者によって昨年10月に同委員会が発足した。

 高萩宿の歴史の解説や後世にその歴史を伝えたい思いを盛り込んだ趣意書を作成し、碑の再建とともに、風化著しい外柵の新調、石尊大権現御神燈の改修、高萩宿の歴史解説板の設置のため地域住民に寄付を募ったところ、約半年の間に目標額を上回る寄付が寄せられた。

 今年5月から工事を始め、無事完成を迎えることに。新たな碑に刻んだ文字については、当時の碑の文字を採った拓本を使って再現した。28日には同委員会のメンバーが集まり魂入式を行う。

 委員長を務める関孝夫さん(62)は、「高萩に宿場があったことを知らない人も増え、後世に高萩宿の歴史を残したいとの思いで再建の話が持ち上がった。実現できないのではないかとの不安もあったが、地域の方々のご協力により目標を上回るご寄付を賜り再建を行うことができた。心より感謝したい」と話している。