王神遺跡の住居址や土器 高麗郡建郡以降の暮らし探る

日高高校南側で発掘調査が進められている王神遺跡

 日高市は、武蔵高萩駅北土地区画整理事業に伴い遺跡発掘調査を進めている同市高萩の王神遺跡で22日、現地説明会を開催する。県立日高高校の南側に広がる同遺跡では、716年の高麗郡建郡以降に営まれた集落の発掘調査が行われており、現地説明会では、これまでの調査で見つかった奈良・平安時代の竪穴住居址や掘立柱建物跡、出土した須恵器や土師器といった器などを見ることができる。

 高麗郡は、霊亀2年(716年)5月に大和朝廷が関東7か国に居住していた高麗人1799人を日高市周辺の地域に移住させて設置され、昨年、建郡1300年を迎えた。

 市教委文化財担当によると、高麗郡建郡以降、人々は小畔川などの小河川に広がる湿地の開発を積極的に行い、稲作が可能な水田を整備。小河川沿いの水田が見える箇所に集落を築いた。

 郡には、政(まつりこと)などを行う政庁(せいちょう)、郡司(ぐんじ)が住む館、集めた稲を保管する正倉、食事や饗宴の料理を作る厨(くりや)などの施設で構成された郡家(ぐうけ)という役所を置いたとされる。

 武蔵高萩駅北側に小畔川を挟んで位置する王神遺跡、拾石(じゅっこく)遺跡、堀ノ内遺跡の3遺跡からは、多数の住居址や文字が書かれた墨書(ぼくしょ)土器が出土しており、こうした墨書土器の中からは郡家の食事を作る施設を示す「厨」の文字が確認され、郡家の位置を探る手掛かりとして注目を集めている。

 王神遺跡からは過去に、郡家に関連する資料として、「鳥形硯片」が見つかっている。鳥形硯は平城京近隣での出土が主で、関東では日高市と武蔵国の役所があった府中市で出土する程度で珍しいもの。中央との深い結びつきが窺えるとしている。

 現在行われている同遺跡の調査は第7次調査となり、今年4月末に調査が開始され、9月末頃まで続く。現在までに竪穴住居址や掘立柱建物跡がそれぞれ10軒程度、須恵器や土師器などが多数出土しており、文字が書かれた墨書土器も見つかっている。

 現地説明会では遺跡の歴史について話を聞くほか、発掘調査の様子や出土品の見学を行うことができ、児童生徒たちの夏休みの研究課題にも最適。担当する市生涯学習課文化財担当は「夏休みの一日、日高の歴史に思いを馳せてはいかが」と来場を呼び掛けている。

 現地説明会は午前10時から、午後1時半からの2回。小雨決行。申し込み不要、参加希望者は直接現地へ。問い合わせは、生涯学習課文化財担当985・0290へ。