阿須の万葉歌碑建立地 土地共有者が会合開く

阿須運動公園内共有地に建立された万葉の歌碑

 飯能市阿須運動公園の一角に建つ「万葉の歌碑」。平成8年、阿須の歴史を後世に伝えようと阿須地区の土地共有者(53人)や文化人らによって建立されたもの。用地は、市と共有者間で使用貸借の契約が結ばれていたが、契約期間の20年が経過したこともあり、共有者が阿須会館に集まり、用地の今後の取り扱いについて話し合った。

 この共有地は、阿須運動公園テニス場の南側、県道富岡入間線沿いの165平方メートル。一帯は、飯能市の都市計画で都市公園として位置付けられた阿須運動公園で、万葉の歌碑は県道と運動施設の間に広がる園内の緑地に建つ。

 阿須にちなんだ万葉の歌碑建立計画が同共有地を計画地に持ち上がったのは、平成6年。

 当時の土地共有者が、建設中のあけぼの子どもの森公園や運動公園によって阿須の将来は市民スポーツ、憩いの一大拠点になると確信。そこで、阿須の歴史を後世に伝え、かつ先人への感謝の意を表す意味で、共有地の有効な活用方法がないか協議。

 そうしたところ、地元の阿須を詠んだ歌が万葉集に記述されていることが分かり、有志らが相談、その歌碑を共有地に建立することが決定した。

 刻まれた歌は「あずの上に駒をつなぎて危ほかと人妻児ろを息にわがする」。現代文に直すと、「断崖の上に駒(馬)をつないで、気をもむようにはらはらするが、人妻を命がけでわたしは思う」という当時の恋歌。

 歌碑建立について、当時の市も理解を示し、周辺を万葉にゆかりのある植栽地とすることの検討を約束。

 そうして、2年後の平成8年5月、当時の小山誠三市長や土地共有者、文化人ら関係者多数が出席して、開設記念式典が現地で執り行われるなどした。

 市との用地の貸借期間は平成27年3月末。既に超過し、共有者も代替わりした。世話人の一人、元市議の宮内重利さんは「契約期間が過ぎ、共有者も亡くなるなど、当時と大分状況が変わった。しっかり、当時の事を覚えている人がいなくなった。このため、賃貸のままか、あるいは市に寄付してしまったほうがいいのかを今、話し合ったほうがよいのではと考え、共有者代表に集まって頂き、会を開いた」と話している。

 方針は定まっていないが、宮内さんは「できることなら、市へ寄付したい」としている。