代表句を前に表彰状を抱える内田雪彦さん

代表句を前に表彰状を抱える内田雪彦さん

 埼玉文芸賞川柳部門の選考委員を平成10年から務め、川柳文化の普及拡大に貢献している飯能市川寺の内田雪彦さん(82)が、県民の日に県から文化功労表彰された。内田さんは、平成5年、飯能川柳会を立ち上げ、以来23年間同会会長として飯能地域に川柳文化を根付かせ、後継者を育成している。弊社の文化柳壇選者。

 内田さんは、昭和9年吾野村(現・同市坂石町分)の生まれ。吾野中学校を卒業し大宮商業高校に進学。28年に電電公社(現・日本電信電話㈱=NTT)に入社した。

 33年、入寮していた独身寮のそばにあった大宮高校が甲子園に初出場。時事川柳などを通じて社会風刺に関心があった内田さんは、「映画館 ガラ空きにした 氷川の児」という川柳を初めて詠み、読売新聞埼玉版の川柳欄に投稿。掲載されたことをきっかけに川柳の面白さに引き込まれていった。

 34年に投稿仲間と大宮で「ひかわ川柳会」を立ち上げ、句作活動を開始。埼玉の川柳会として著名だった「あだち川柳会」にも参加。36年、あだち川柳会は「埼玉川柳社」に改名し発展。同社の初代会長が清水美江氏で、「私の句を読売新聞に選んでくれた先生で、私にとって師と呼べる人」と語る。「雪彦」の雅号も清水氏が名づけ親。

 「川柳の3要素は、風刺とユーモアとかるみ。俳句は人を詠むもの。人を観察しながら人を批判するのではなく、自分もやりがちしがちなことを反省し、こうありたい、と思うことを詠む。そして人に素直に共感してもらえる句作りを心掛けています」と、内田さんは川柳を語る。

 62年頃から、定年生活を見据え、地元飯能での川柳普及活動を開始。平成5年、川柳社のメンバーを中核に飯能川柳会を設立。会長として普及活動と後進の育成に取り組み、「文芸はんのう」に川柳欄を作り、公民館に愛好サークルを次々立ち上げるなど、川柳文化を地元飯能に根付かせた。

 これまで詠んだ句は2万句を超える。

 20年に、句作活動50年を記念し句集『雪路』(弊社刊)を発刊。代表作の一つ、「幸せに慣れ 幸せを 忘れてる」など厳選した300句を掲載している。

 選者としての心構えは、「自分の主張・好みを抑え、川柳とは何かを考え、誰もが『いい句』だなと思える作品を公正に選ぶこと」という。

 文化功労者に選ばれ、「本当に感動的でした。特に、文芸部門で一人だけで驚きでした。公正ということを評価して頂いたこともうれしい」と、素直に喜ぶ。

 「責任を感じると共に、投稿者や参加者がいてこその選者であり文化功労、感謝する気持ちが沸き上がりました」と、周囲への気遣いと感謝で締めくくった。