自著を手にする小島さん

自著を手にする小島さん

 飯能市下畑の小島伸幸さん(72)が、秩父市中津川の秩父鉱山跡を収めた「廃鉱の記憶」を出版した。

 鉱山内、工場、社宅、共同浴場、学校など廃墟となった建物が草木に覆われ、腐敗し、長い年月をかけて森に還っていく廃鉱の様子に惹かれ、6年かけて撮影。

 「自然界には限りない不思議が満ち溢れている。刻々と変化し続ける廃鉱の姿に惹かれた」と話している。

 秩父鉱山は秩父市から西に46キロ、標高900メートルの秩父多摩甲斐国立公園の中津川上流にある。山の斜面に階段状に工場があり、周辺には社宅や関連施設が建ち並び、鉱山に従事する人々が生活していた。

 最盛期には従業員500人以上、家族を加えると2000数百人で、社宅は400戸、寮は160室以上あり、商店や集会所、郵便局、診療所、共同浴場、学校、駐在所なども置かれていた。

 だが、1970年代には従業員は100人近くに激減し、集落は閉じられた。

 小島さんが初めて同鉱山を訪れたのは35年程前。近所の友人に誘われて黄鉄鋼が入った石を探しに行ったときに、偶然秩父鉱山の建物群を発見した。

 当時は生活している人もいたが、平成21年に再び訪れると、集落には以前の面影はなく、廃墟と化していた。

 「原生林に囲まれた山中に、日本経済の高度成長期の遺物が目の前にあるのだ」と心の高ぶりを感じ、以降、年に何十回と通った。

 「当時の光景はこんな風であっただろうな」と次々と想像しながらシャッターを切る。朝から夕方まで、時には夜まで滞在していたことも。

 「誰もいない自分だけの世界にいるような気持ちになり、何も考えずに心を空っぽにすることが出来る。素の自分でいられるような、そんな空間。静けさや不気味さ、森に還っていく過程を目の当たりにし、自然界に満ち溢れる不思議を感じる。山奥の集落は日本の原風景でもあると思う。そこに暮らす人々の人間性や集落の移り変わりを追っていきたい」と話している。

 写真集は鉱山へ通じるトンネルから始まり、鉱山道路入口、工場、鉱山内、鉱道入口をはじめ学校前の橋、社宅の障子、社員寮の新聞受け、中学校玄関、教室、共同浴場男湯などが収められている。

 問い合わせは小島さん972・3587へ。