権力者示す「玉」出土 中山の縄文「旭原遺跡」

出土した「玉」。特別な人間が身に着けていたと推測される

 飯能市役所北西側の国道299号バイパス中山陸橋周辺の縄文時代(奈良・平安含む)の遺構「旭原遺跡」から、市内で3例目、完全な形としては初めてとなるその時代の装飾品の「玉」(ぎょく)が人工的に掘られた穴から出土した。

 玉は直径約2・7センチの蛇紋岩で、中心に紐を通す6ミリほどの穴が貫通している。表面は研磨され、緑色に黒色の模様が斑状に入る。埋葬者の副葬品とみられ、市教委は「玉は一般の人が身に付けられるものではない。村を統治するか、何かしらの権力者が存在していたことを示すもの」と話す。

 旭原遺跡は、中山陸橋を中心に南端を聖望学園付近にした東西500、南北200メートルの縄文、奈良・平安時代の遺跡。

 道路整備事業に伴って昭和60年に最初の発掘作業が行われ、宅地開発などを理由にこれまで18次の調査が市教委によって着手されている。

 第18次調査は昨年11月末から今年2月初旬にかけ実施。面積は1900平方メートルほどで、縄文時代の土器片などが、土坑(どこう)と呼ばれる穴から多数見つかった。

 土坑は、動物を捕えるための落とし穴、死者の埋葬用などに用いられたとみられ、全部で187基が地表面からおよそ40センチ下から表われた。

 玉が見つかったのは、調査対象エリアの中央北側で出土した土坑のうちの1基。南北約1・6メートル、東西約1・3メートル、深さ約50センチの大きさで、同穴の中に埋まっていた複数の土器片から、やや離れた辺りで発見された。

 市教委によると、玉などの装飾品はヒスイなどで作られるが、旭原遺跡から出土したものは蛇紋岩。県内では秩父で産出されており、物々交換などで入手したものと思われる。

 市内の他の縄文時代の遺跡群と比べると、同遺跡はすぐ北側に集落形成に欠かせない川(南小畦川)が流れているとはいえ、規模は小さい。市教委は「過去の大きな遺跡の調査で見つからず、小さな旭原遺跡で出土したことは興味深い。玉は普通の者が持てるものではない。村を治める者が身に着けていたとしても不思議ではない」と想像を巡らす。

 市教委は、出土した玉を一般公開することも検討している。