市の有形文化財に指定された出土遺物

市の有形文化財に指定された出土遺物

 出土した土器が古代史の謎を解明し、歴史書の記述を立証した――。飯能市は、市教育委員会が所有する「堂ノ根遺跡1号住居跡出土遺物」208点を市の有形文化財に指定した。その中には、常陸国(現在の茨城県周辺)で生産された土器も含まれており、これは1300年前、高麗郡建郡にあたり常陸国周辺から土器と共に移住した人々がいたことの裏付けとなる。

 同遺跡は芦苅場に所在しており、平成元年に第1次調査が行われ、奈良時代初頭の住居跡が1軒発見された。その際、高麗郡建郡当時の飯能地域を知る上で重要な資料となる常陸産の土器が出土した。

 高麗郡は今から1300年前の霊亀2年(716年)に建郡され、歴史書「続日本紀」には当時、常陸国を含めた関東周辺の7か国から高麗人を移住させ高麗郡を設置したという記述がある。

 同遺跡で出土した土器には、常陸産の特徴といえる筑波山麓でしか取れない雲母を多く含んだ粘土が使用されていることから、常陸国周辺から土器と共に移住した人々の裏付けとなった。

 今回有形文化財に指定された出土遺物は、破片も含めて総点数208点あり、須恵器は坏(つき)10点、蓋(ふた)8点、甕(かめ)5点。土師器は坏34点、甕151点。これらのうち80点が常陸国産の物となる。

 須恵器の坏は口径15~16センチ、土師器の甕は口径23センチ、高さ30センチ(推定)などで、須恵器は食器、土師器はかまどにかける鍋などで、このようにセットで出土しているのは飯能市内で唯一だという。

 市生涯学習課は「日常生活で使用していたことが分かる。セットで出土したということは、飯能の歴史にとって貴重」と話す。出土した土器が「物証」となり、歴史書の記述を証明した。